海を渡った先のグラウンドにも、挑戦の舞台は広がっている。

世界には多様な環境で学びながらプレーし、成長している日本人選手たちがいます。「海外で野球をする」という選択肢があなたの未来を大きく変えるかもしれません。視野を広げれば、あなたの野球人生はもっと自由に、もっと面白くなるはずです。

今回はメジャーリーグ球団の契約を勝ち取ることを目標に、ドミニカ共和国へ渡った山田大和(やまだ・やまと)選手の挑戦の様子をお届けします。

ずっと信じてくれていたお父さんをはじめ、家族への感謝を胸に。そして、日本の子どもたちに“夢を諦めない気持ち”を届ける挑戦に、ぜひご注目ください。

悔しさに溢れ、上を目指した学生時代

野球を始めた時期ときっかけを教えてください。

僕が4歳くらいの頃に、メジャーリーグが好きなお父さんとテレビでワールドシリーズを一緒に見て「かっこいいなぁ」と思ったことが最初のきっかけです。

チームに本格的に入ったのは小学校に入学したタイミングでした。最初に経験したポジションはショートで、その後はピッチャーも経験しました。中学生のボーイズリーグでもピッチャーをしたかったのですが、身体が小さかったこともあって自分の球が通用しなかったんです。

そこで自分の強みを考えたところ、守備がいちばん得意だなと思い、内野手として勝負することにしました。今も本職はショートです。

学生時代に印象に残った試合や練習はありましたか?


中学3年生の春に行われる全国大会の予選が2年生の秋にあったんですけど、同地区に145km/hを投げるピッチャーのいるチームがあって、最終回のツーアウトからサヨナラ負けを喫したことが印象に残っています。これまで野球をやってきた中で、この試合に負けたことがいちばん悔しかったです。

この試合がきっかけで全国大会に行きたい、もっと上のレベルでプレーしたいという気持ちが強くなりました。小学生の頃からプロ野球選手になることが夢でしたが、「こんなにすごい選手が全国にはたくさんいるんだ」と痛感し、本気で野球に打ち込む覚悟ができました。

高校は三重県の神村学園伊賀に進学し、硬式野球部の1期生として活動しました。先輩がいない環境だったため、後輩が入ってきたときには接し方で悩むことも多かったです。一方で印象に残っているのは、家族や地域の方などの存在で、応援してもらえることが自分にとって大きなやりがいでした。

当時の山田選手からすると、将来の自分が海外へ渡っている姿は想像できますか?


高校2年生の時、より高いレベルでプレーしたいという思いからアメリカの大学に興味を持って、トライアウトを受けたんです。でもそこで出会った選手たちのレベルが高くて、正直自信を無くしてしまいました。「アメリカで野球をやるって、こんなにも次元が違うんだな」と思い知らされましたね。そのときは、「まずは日本のプロ野球で力をつけてからだな」と思っていました。

プロ野球への第一歩、独立リーグでの挑戦

日本のプロ野球を目指すというビジョンを描く中で、なぜ独立リーグへ進むことを決めたのですか?

大学で4年間やり切ってプロに進むのも自分にとって大きな財産になるのかなとも思いましたが、それよりも「1年でも早くプロに行きたい」という気持ちが強かったからです。

独立リーグは大学や社会人野球と違って、入団1年目からドラフト指名の可能性があることが大きな魅力でした。そしていろいろな経験をしてきた先輩方と野球ができるので、18歳からその環境に身を置いたらまだまだ伸びるんじゃないかなと思ったこともきっかけの1つです。

最初はKAMIKAWA・士別サムライブレイズというチームに入団しました。

北海道に初めて行った時は寒いなと思いました(笑) ただ、その気候に反して士別にはすごく温かい人が多かったです。それこそ高校の時と同じように、道行く人たちが気にかけてくださって、「今日の試合見てたよ」とか「頑張ってね」と言ってくれることが数多くありました。嬉しかったですね。

学生時代と比べて、士別に入団してから驚いたことはありましたか?


たくさんあります。例えば、同じ130km/hだったとしても、高校生と大人が投げるボールは球の重さや回転数が全然違うし。プレーしながら考えることの量も全く違っていて。

みんなここまで考えて野球するんだ」「それでもなかなか上に行けずに、みんなもがいてるんだ」と思って、また危機感を覚えました。

特に先輩たちのどんな意識や考えに圧倒されましたか?


一番勉強になったのは、先輩たちの準備に対する意識の高さです。前日の段階から、みんなそれぞれ自分のやるべきことが明確でした。

高校生の時は全体でアップをしていましたし、「前日をどう過ごすか」なんてあまり考えていませんでした。最初のうちは隣の先輩を見てとりあえず真似するしかなかったですね。

僕も自分なりに時間をかけながら、やるべきことを整理するようになって、今では「試合に入るまでの準備」こそが僕にとって一番大事な時間になりました。

まだルーティーンは模索している最中で、これという形は見つかっていませんが、1試合に対する本気度が格段に高まったことが独立リーグに入って良かったと感じるところです。

ちなみに、独立リーグで出会った中で尊敬している選手はいますか?

尊敬している方はたくさんいるんですけど、特に士別に在籍されていた大橋諒介(おおはし・りょうすけ)さんと広畑塁(ひろはた・るい)さんです。

広畑さんは元プロですし、僕が独立リーグ1年目の18歳のときに一緒にプレーさせてもらったことは、すごく大きな経験でした。お二人の姿勢や考え方、取り組み方から学ぶことが本当に多くて、今でもずっと尊敬しています。

一度諦めた海外への夢、再挑戦のきっかけは

海外へ渡ろうと思ったきっかけを教えてください。

宮崎のチームに移った後、お父さんの命がもう長くないと診断されて、それを聞いてショックがすごく大きかったんです。練習にも力が入らなくなってしまって、もう野球を辞めようと思いました。

それで実家に帰って、しばらく今後どうしようかなと考えていたんですけど、お父さんが僕のいないところで「自分が死んだとしても野球をやってほしい。諦めがついて辞めるならいいけど、こんな辞め方はもったいない」とぼそっと呟いていて。その言葉を聞いて、「それなら、自分の中にずっとあった夢に挑戦してみたい」と思いました。

考えれば考えるほどワクワクしてきて、幼い頃から憧れていたメジャーリーグの舞台への最後の挑戦のつもりで、まずはドミニカ共和国に行こうと決めました。

周囲の反応はいかがでしたか?


正直賛否両論分かれていて、僕の両親やこれまで携わってくださった指導者の方は「頑張ってこいよ」「最後まで悔いのないようにやるだけだよ」とすごく応援してくれました。一方で「きついんじゃない?」という声もありましたが、もう意志は固かったです。

ドミニカに向かう飛行機の中では「早く着いてほしい」としか思っていませんでした。夜中に現地に到着してからも不安はなく、「早く明日にならないかな」とワクワクした気持ちでいっぱいでしたね。

ドミニカではどのような環境でプレーしていましたか?


特定のリーグには所属せず、3ヶ月ほど滞在して、ドミニカにあるメジャーリーグ球団のアカデミーのトライアウトを受けることが目的でした。ドミニカに渡ってからは、たまたまサマーリーグに参加している日本人の方2人と出会って、毎日一緒に練習していました。お2人とも一回りくらい上で、独立リーグも経験されていた方たちなので、海外でも気持ちがブレることなく淡々と野球に打ち込まれていました。素直にすごいなと思いましたね。

ドミニカでは街にある野球場にメジャーリーグの関係者が来てトライアウトを開催していることがあるので、翻訳機を使って「俺のプレーを見てくれ」と伝えて飛び込みで参加させてもらうこともありました。

もう二度と来ない土地かもしれないので、しつこくいろんな人に当たっていました。僕は英語すらそんなに喋れないんですけど、野球をやっている仲間ならある程度のノリで通じるところもあって、ポジティブな気持ちで楽しめました。

ドミニカと日本のプレースタイルの違いは感じましたか?


自分のイメージと違って、ドミニカでも基礎練習を大事にして、きっちりやっている部分もありました。ただ、やっぱり体格の良さや自分の身体能力の高さを全面に押し出す選手が多かったですね。

バッティング練習では現地の選手がホームランをバンバン打っていて、「僕も1本ぐらい打たないとまずいかな」とつい影響されてしまうこともありました。

ただ、さまざまな人と話したり考えたりするうちに、向こうの選手に変に対抗するのではなく、自分の強みを見せるべきだと気づきました。僕はずっと海外でプレーして、最終的にはメジャーリーグの舞台でプレーしたいので、イチローさんのように自分のプレースタイルを貫ける選手になりたいなと思いました。

それと、ドミニカでは学校に行かずに野球に打ち込んでいる子どもたちが数多くいて、日本ではありえない光景でした。荒れたグラウンドみたいなところで、子どもたちが必死にボールを追いかけています。だからメジャーリーグで活躍するドミニカ人が多いんだなと実感しました。

今の日本人はとても器用な選手が多いですが、野球をプレーする環境に恵まれている分、このような泥臭さを見習えば、もっともっとメジャーリーグで活躍する選手が出てくるんじゃないかなと思います。

2026年はアメリカ合衆国へ。思い描くビジョンとは

改めて、山田選手のアピールポイントや今後の目標を教えてください。

まだアピールポイントを堂々と発表できるほど自信はないですが、これからこうなっていきたいという願望も込めてお話します。

今回の経験で、バッティングのパワーは外国人選手に敵わないなと思いましたし、内野手の日本人メジャーリーガーは苦戦している状況なので、海外でも「守備が上手、よく守れるよね」という評価をもらえるような選手。そして、塁にたくさん出て、チームの勝利に貢献できる選手になりたいと思っています。

また、打順は1番を打ちたいです。たくさん打席が回ってきますし、それで結果を残せばチームからも信頼してもらえると思うので。フォアボールやヒットなど、形にこだわらず、塁にたくさん出られる1番バッターになりたいです。

2026年シーズンはどのような環境でプレーするのですか?


現在ドミニカで知り合ったメジャーリーグ球団のスカウトの方と連絡を取り合っており、春季キャンプにテスト参加できるかもしれない状況です。

まだ2026年度のことは全く決まっていませんが、本当に楽しみでいっぱいです。まずはアメリカへ渡り、メジャーリーグ球団の契約を勝ち取ることだけを考えてやっていきます。

ずっと応援してくれた父への感謝、そして未来のヒーローたちへ希望を与えたい

メジャーリーグで活躍する姿を誰に見せたいですか?

実は、僕がドミニカから日本に帰国した日にお父さんが亡くなってしまったんですよ。

今は実家でお母さんと弟と生活していて、この生活を楽にしてあげたいという気持ちがあります。そして、お父さんは昔からずっと僕のことを信じて野球をさせてくれたので、それが間違っていなかったよと伝えたくて。

まずは家族みんなにメジャーリーグの契約を勝ち取ったという報告がしたいですね。

そして、日本の子どもたちを見ると、SNSなどの影響かもしれないですが、「プロ野球選手になるなんて無理だよ」と言う子も結構います。

僕は、不可能なんてないってことをまずは自分が成功することで証明したいと思っています。先駆者がいると挑戦するハードルも全然違うでしょうし。高校を卒業後に海外へ渡ってメジャーリーグを目指す選択肢があるということを体現したいですね。

子どもたちには、「自分の中にある一番デカい目標を掲げて野球を頑張ってほしい」と伝えたいです。僕もみんなを導けるような存在になれるように頑張ります!

おわりに


父の言葉に背中を押され、夢に向かって再び歩み始めた山田選手。

感謝と覚悟を胸に、2026年シーズンはアメリカへ挑戦の舞台を移し、メジャーリーグ球団との契約を目指します。これまで積み重ねてきた努力と、支えてくれた家族への想いが、彼の原動力となっているのです。

この挑戦は、夢を諦めかけたすべての人に希望を灯すことでしょう。
ぜひ今後も山田選手の活躍にご注目ください!

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山田大和選手 Instagram
https://www.instagram.com/yamato_yamada.6/ 

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