企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
昭和20年に初代菊地敏夫が岩手県大東町国民学校高等科を卒業し、昭和21年に岩手県で左官技術を習得後、昭和25年に北海道釧路市で菊地左官工業所を設立いたしました。その後、昭和28年に現在の札幌市北区に場所を移し、株式会社菊地左官工業所に改組。北区新琴似に新たに資材倉庫を設けます。そして、昭和48年に現在の社名である丸敏菊地工業株式会社に商号を変更。平成15年には2代目菊地文彦が代表取締役社長に就任し、令和5年に3代目菊地文哉が代表取締役社長に就任し現在に至ります。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社の強みは、職人全体の年齢構成のバランスが良く、熟練職人と若手職人がチームになって作業を行うことでお互いの不足する部分を補いながら作業できる環境を実現し、高い生産性を発揮している点です。若手同士のコミュニケーションも良く取れているため、チームワークを発揮した際は大きなパワーを感じられます。また、積極的な機械投資で生産性向上や従来できなかった新たな仕事にも着手し、特殊左官と呼ばれる新しいジャンルの仕事を積極的に獲得することで職人の技術の修得と視野の拡大にも貢献しております。これからも、創業70年以上の歴史の中で築いてきたお取引様との良好な関係性を大切に、安定した仕事を実現してまいります。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た北海道地域の魅力について教えて下さい。
弊社の位置する北海道には多くの魅力がありますが1番はやはり、はっきりとした四季があることです。同じロケーションでも春・夏・秋・冬、それぞれの季節が異なる景色をつくり、その変化がまた風情を感じさせます。さらに、自然が身近にあるからこそ海や山で様々なアクティビティを楽しむことができ、豊富な旬の食材を満喫することができます。観光客が年間を通して多い理由には、北海道のこのような四季の変化が大きくかかわっていると考えております。寒さが厳しい北海道の長い冬も生活面・仕事面共に考慮すべき問題はまだまだありますが、それ以上に雪が周りの自然や建物と共に作りだす景色は苦労を忘れさせてくれるほどに美しいです。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
1つ目はとにかく、ものづくりが好きな方です。左官は何も無い状態から人の手のみで新たなものを生み出し、表現することができる数少ない職業です。一緒に働く方には、このような喜びを共に感じていただきたいです。2つ目は向上心がある方です。もっと上手くなりたいという向上心が目標を決めますが、目標を持てる方でなければ技術の成長は無いため、向上心の無い方が職人として続けていくのは難しいと考えます。3つ目は自分で考えられる方です。日常の仕事が頭を使わないただの作業になってしまうとそこに成長はありません。たとえそれがどのような業務でも今、自身がしている動作の意味、より作業効率をあげるにはどうすれば良いか、次にやるべき業務は何かなど、常に考え続けられる方は成長が早いと考えます。
ひとを知る
代表取締役社長
菊地文哉
大学卒業後、清涼飲料メーカーで営業・経営企画を経験した後、祖父である創業者の死をきっかけに現在の会社に入社。当時の採用スタイルに不安を感じて、現場管理をする傍ら高校新卒や中途採用活動に力を入れ、1人しかいなかった若年社員の人数を着実に増やしている。また、特殊左官と呼ばれる仕事にも積極的で、職人の技術の修得と視野拡大に務める。自身も、昔からものづくりが大好きで左官に魅せられている。
SDGsへの取り組み
- 【5】男女関係なく全ての従業員が働きやすい環境をつくります。
- 【8】技術の向上と設備や機械の積極投資で生産性をあげ、経済の発展に寄与いたします。
- 【12】塗るのみならず今の状態を長く維持できる方法や、廃棄物を最小限に抑えられるような方法を提案いたします。
企業プロフィール
企業名 | 丸敏菊地工業株式会社 |
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所在地 | 〒001-0030 北海道札幌市北区北30条西5丁目2番28号 |
創業年 | 1950年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 菊地文哉 |
事業内容 |
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