企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
1997年に先代社長(元会長)の佐藤が、「お客様の顔が見える家づくり」を目指し、東大阪市にて創業開始いたしました。翌年の1998年に現社長である礒山が入社した当時は施工のみを行う工務店でしたが、そこから有名建築物などのハイレベルな家づくりを重ね、施工実績を積んでまいりました。しかし棟数を重ねるうちに創業当初の家づくりのスタンスから、ズレを感じるようになり、お客様の生命と暮らしを守るためには構造や性能から責任を持たないといけないという思いから設計室を立ち上げ、設計施工に方向転換しました。転換前に行なっていた、思いを共有する建築家とのコラボは継続中です。その後2011年に現社長へと交代し、現在に至ります。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
日本は戦後の住宅不足から国民みんなが雨風をしのぐための家を一棟でも多く、1日も早く建てることに重点をおいて家づくりを続けてまいりました。しかし「家は建てれば売れる」の精神で、性能や耐久性を度外視した夏は暑くて冬は寒い、地震のたびに怯えて暮らさないといけない、シックハウスでアレルギーに悩まされるなどの粗悪な家が増えた時代でもありました。住宅ローンが終わった頃には資産としての価値はなくなり、「壊しては建て替える」を繰り返していました。しかし、これからは家に対する価値観を変えていかなければなりません。雨風をしのぐための家づくりから幸せに暮らせる家づくりへ転換し、家は消耗品ではなく子供や孫の世代まで、代々受け継がれる大切な資産であるという認識を広めていく必要があります。すべての家族の生命と暮らしを守る家づくり、これが私たち株式会社じょぶの最大のミッションです。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た河内地域の魅力について教えてください。
ここ東大阪市は高度成長期は大阪のベットタウンとして栄えた地域で人情深い、職人気質の風土が根付くものづくりの町として知られています。私の父もこの町で工具の製造をしていました。そして、自らの手で新たなイノベーションが起こっているのもこの町の特徴であり、魅力です。衣食住の産業も盛んでそれぞれの分野で元気な企業やお店が多いです。こうしたなかで「住」の分野で、この町から新たな挑戦ができることを誇りに思っています。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
ものづくり、特に当然家づくりが好きな方を求めます。そして常に自己成長を大切にしている方と自分に厳しくできる方に来ていただきたいです。ただ自分の幸せのみを優先するのではなく、自分達が家づくりを通してなにができるのかを常に考え、すべての関わる人が幸せになれるこ家づくりができることに感謝できる人財を求めます。世の中には様々な職業があります。みんなそれぞれが得意分野を分担しているだけで、自分たちの仕事に誇りと喜びをもつこと、お互いの仕事に敬意を持つことができる人になれる人と一緒に働くことができれば、みんなが幸せになれると信じています。
ひとを知る
代表取締役社長
礒山哲也
山本高校を卒業後、様々な仕事に就く。25歳の時先代と出会い、中堅のゼネコンに入社し初めて建築業界に足を踏み入れる。32歳の時に先代が独立し、株式会社じょぶを創業。その1年後に同社に入社を果たした。お客様の顔が見える家づくりをモットーに徐々に売上を伸ばし、2011年に事業承継、代表取締役社長に就任。7年前に高槻市にモデルハウスをオープンし、年商は10億超で推移。「資産価値のある家づくり」を軸に邁進中。
SDGsへの取り組み
- 【3】私たちは注文住宅の設計施工の工務店であるため、すべての方が健康に暮らせる住宅を常に研究し、提供し続けます。
- 【11】戦後の高度成長期を迎えた住宅業界は雨風を凌ぐためだけの粗悪な家づくりをしてきました。しかしこれからは長く住み続けられる、資産価値の高い家づくりが求められています。弊社としてもこのような家づくりを目指しています。
- 【13】この気候変動の激しい時代、私たち工務店は高性能(特に断熱性能)な住宅を常に研究し、地域の光と風を取り込む家づくりを追い求めています。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社じょぶ |
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所在地 | 〒578-0911 大阪府東大阪市中新開2-10-26 |
創業年 | 1997年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 礒山哲也 |
事業内容 |
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