企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
弊社は福岡県養鰻漁業協同組合の鰻の加工場として1984年に福岡県北九州市で創業しました。1990年代には価格の安い中国産うなぎの需要が高まったことで、経営が悪化し一時は廃業寸前まで追い込まれたこともありました。しかし2000年の「産地表示の明記が義務化」が転機となり、国産うなぎの注目とともに業績も回復していきました。2002年にはさらなる美味しさを追求し、創業時からのベルトコンベアによる生産に加え、職人による手焼き蒲焼の生産にも挑戦。「日本一美味しい蒲焼」を追い求めて試行錯誤を重ね、職人の卓越した手焼きの技「豊前小倉流」にたどり着きました。現在も「まんてんや」というブランドで商品を全国にお届けしております。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社の強みは独自の手焼きの技「豊前小倉流」を習得した職人による、日本最多を自負する年間20万尾を超える手焼き蒲焼の生産体制です。専門店にも負けない味と食品工場としての衛生管理体制の2つを兼ね備え、より多くのお客様に安心して選んでいただける商品づくりを行っております。近年、ニホンウナギの稚魚「シラスウナギ」の漁獲量は減少傾向にあり、価格の高騰から「このままではいつか家庭でウナギが食べられなくなるのでは」との懸念も高まっております。そのため弊社は貴重な天然資源の鰻を1尾1尾丁寧に焼き上げ、「鰻専門店の焼き立ての味をご家庭に」 という強い使命感をもって今後も事業を展開してまいります。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た福岡地域の魅力について教えて下さい。
弊社の位置する福岡県北九州市は、関門海峡に面した九州最北端の都市で九州の玄関口として栄えてきました。政令指定都市でありながら、海や山を身近に感じられるまちです。医療・救急体制の充実、交通インフラも整っており、幅広い世代が快適に安心して住むことができる魅力があります。また「焼きうどん」、「焼きカレー」発祥の地で、ご当地グルメも豊富です。2024年2月には、初の市版として『地球の歩き方 北九州市』が発売されるなど、全国からも注目されております。このような魅力あふれる北九州市の地に根差して40年。今後も地域に貢献できるよう、精進してまいります。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
「私たちは“良きモノ”でお客様の心を豊かにします」を経営理念に掲げ、工場だけでなく全ての部門の社員が一体となって「日本一美味しいうなぎ蒲焼」をつくることに日々取り組んでおります。弊社が扱う「うなぎ」という原材料は1つとして同じ個体のものはなく、いつも画一的な生産ができるわけではありません。そのようななかでうなぎ本来の美味しさを引き出し、上質な商品をお客様に届けるためには責任感や使命感を持ち、仕事に望まなくてはなりません。うなぎに愛情を、お客様には真心を込めて仕事に取り組んでいただける仲間を求めております。
ひとを知る
代表取締役
各務秀人
福岡県北九州市生まれ。福岡県養鰻漁業協同組合の組合長だった父の依頼で大学卒業後、静岡の加工場・大阪の鰻の卸問屋で1年間修行を積む。1984年に加工場をゼロから立ち上げ、25歳のときに創業。以降、トップとして会社の舵取りを担う。その後、2011年からは別法人にて不動産賃貸業・太陽光発電事業を展開し、2017年からは福岡県豊前市で農業法人を立ち上げ、グループ全体で事業の多角化を推進している。
SDGsへの取り組み
- 【12】食品ロス削減のため、加工品は特殊包装し全て冷凍保存することで賞味期限を最長3年としております。
- 【13】温室効果ガス排出量を低減するため、2025年稼働予定の新工場ではノンフロン型の自然冷媒機器を導入します。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社福岡養鰻 |
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所在地 | 〒800-0201 福岡県北九州市小倉南区上吉田4-14-22 |
創業年 | 1984年創業 |
代表者 | 代表取締役 各務秀人 |
事業内容 |
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