企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
弊社の起源は創業者・伊藤家の始祖が戦国時代末期頃に加賀の国(石川県)から移り住んだことです。当初は油や味噌醸造などを手がけておりましたが、1874年(明治7年)に 七代目・仁右衛門が「他の地域に負けない地元の酒」を造りたいと考えたことから清酒製造業を開始しました。その後、全国に通用する品質にするために「低温長期醸造法」を考案し、現在では寒冷地に適した醸造法として定着しています。弊社の転換点は昭和末期頃から出荷数量が落込み、平成に入り危機的な状況に陥ったことです。その際に従来の大量生産・大量販売から品質を重視した方針へ転換を図り、新しい販路開拓と地酒ブランドの立ち上げに取り組んでまいりました。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社は、従来より地元をはじめとして親しまれてきた銘柄を守りつつ、新しい地酒銘柄の開発・製造に力を入れています。近年新しい味にもようやく一定の評価を頂けるようになりました。これまでは飲み飽きのしない味わいを大切にしていましたが、現在は「1盃目で忘れられない味わい」を目指しています。より印象に残る味を追求するために意識して取り組んでいることは、常に外部の情報を収集することと比較評価を怠らないことです。創業からの長い経験で培った経験やこれまでの失敗を糧にして、新しい考えや技術も積極的に取り入れてまいります。これからも飲んでいただける皆様に「美味しい」と感じていただけるように事業を続けていく所存です。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た秋田地域の魅力について教えて下さい。
弊社のある秋田県湯沢市は手つかずの自然が豊かで、水も豊富な点が魅力として挙げられます。米などの農作物をはじめとする内陸の山の幸がとても美味しい地域です。また、弊社の近くにはかつて栄えた世界有数の銀山があり、豊かな水を生かして作る弊社のお酒は銀山で働いていた方にも長く愛されておりました。それに加えて、秋田県は豪雪地帯のため苦労することもありますが、一面に広がる雪景色は他の地域にない特色でもあります。さらに「秋田竿燈まつり」や「横手の雪まつり」、「大曲の花火」などのお祭りや、日本三大うどんのひとつである「稲庭うどん」など、秋田県が誇る魅力的な事柄を県外へ発信すべく弊社も尽力してまいります。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
弊社は伝統的な考えのみにとらわれずに、柔軟な発想で業務に取り組むことのできる方を求めております。酒蔵として大きな醸造規模ではないため、合理的な判断のもと、速やかに物事を進めるスピード感も大切にしています。弊社ではこのような素質を持った従業員が男女問わず活躍しております。加えて従業員同士の積極的な話し合いも、より良い酒造りのために欠かせないものです。さらに、酒蔵といえば酒造りの作業を連想される方も多いかと存じますが、それはあくまで一部分に過ぎません。例えば瓶詰等の製品造りや総務・営業、屋内外の営繕作業まで幅広い仕事がございます。自身が得意な職能を活かしたいと考えておられる方のご応募をお待ちしております。
ひとを知る
代表取締役
伊藤康朗
地元生まれの地元育ち。高校まで地元で過ごし東京の大学を卒業後、運送業に従事。国税庁上槽試験所の研修を経て、両関酒造に就職。東京での勤務を経て帰郷し、地元の行事等にも積極的に取り組むみ、仕込の現場等を経て、2003年に代表取締役に就任。従来の銘柄に加え、「花邑」「翠玉」等の地酒銘柄を各方面からの協力を得ながら立ち上げ、古き良き伝統を残しつつ新しい考えや技術に取り組んでいる。
SDGsへの取り組み
- 【3】各種資格取得の推奨や費⽤の補助、各種休暇制度の整備や従業員の互助会の制定を行っております。
- 【7】衛生管理の国際的な手法であるHACCPに準じた衛⽣管理を徹底しております。
- 【11】会社周辺と地域の清掃・リサイクル活動をしております。
- 【12】地元産⽶を原料とした清酒製造や登録有形⽂化財となっている建物の環境整備に取り組んでおります。
- 【16】地元⼈材の積極的な雇⽤を行なっております。
- 【17】地元業者・公共団体と連携し、地域の⽅々との共同企画商品の開発を行っております。
企業プロフィール
企業名 | 両関酒造株式会社 |
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所在地 | 〒012-0813 秋田県湯沢市前森四丁目3番18号 |
創業年 | 1874年創業 |
代表者 | 代表取締役 伊藤康朗 |
事業内容 |
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