企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
先代である清水勝美が自らの経験を活かし挑戦するという想いから、1983年に土木工事を主体とする有限会社清水企業を創業いたしました。同年、日本海中部地震が発生し、津波の被害によって多くの尊い命が失われたことを今なお鮮明に記憶しております。その時に見た、昼夜を問わず復旧対応に尽力する社員の一体感のある活躍ぶりは、幼い私の心に強烈な印象を与えました。まさに地域復興への「使命感」が躍動している姿であり、これが弊社の根源であります。こうして地域の皆様に支えられ、2008年には先代を引継ぎ、株式会社清水企業へと組織変更しました。現在も果敢な挑戦を追求し、「使命感」を絶やすことなく業務遂行に努めております。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社は土木部ならびに軌道部の二部門で構成され、土木部については公共事業や民間事業を通じ、社会基盤形成に努めております。また、軌道部においてはJR東日本の線路保守工事を営み、安全で安定した輸送を目指し、維持管理や経年劣化に伴う修繕等を年間を通じて行ってまいりました。特色を感じにくい業務ではありますが、地域に住み暮らす人たちが快適に過ごすための環境づくりとして必要不可欠であると考えております。また、鉄道輸送は全国に張り巡るネットワークであり、経済の循環のためにも大切な産業基盤です。さらに、災害などの有事の際は迅速な復旧に努めており、地域や経済活動に欠かせない存在として誇りと自信を持っております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た秋田地域の魅力について教えて下さい。
秋田県能代市は山・川・海を保有し、四季折々豊かな表情を見せることが大きな魅力です。地域経済の基幹産業の一つである農業では、コメの生産に加えて、世界遺産に登録されている白神山地の恵みを受けた「白神ねぎ」の生産が年々拡大し、台湾など国外へも出荷しております。また、風況に恵まれていることから、カーボンニュートラルの推進と再生可能エネルギーの普及を目的とした洋上風力発電を全国で初めて事業化したことも注目すべき点です。さらに、国内最大手の木材会社の進出が決まり、かつて「東洋一の木都」と称された木材業界の再興に期待が高まるとともに、弊社としても地域環境の保全にも寄与できるのではないかと考えております。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
全国の地方都市では高齢化や人口減少が深刻であり、地域の存続のためにも主体性と行動力を持って時代変革に挑むことのできる人材や、困難に直面した際に、他人事とせずに互いに寄り添うことのできる地域社会の形成が必要です。弊社では課せられた使命を達成すべく日々の研鑽を積んでおります。それと同時に、歴史的な七夕行事である「天空の不夜城」の復活事業や運営に携わったり、また高校野球の県予選の前には道路の清掃も率先しておこなったりと地域貢献活動にも尽力してきました。困っている声に耳を傾け、人に頼るのではなく、人に頼られる人を目指し、この地域の憂える将来に自らの主体性と行動力を発揮したい仲間を強く求めております。
ひとを知る
代表取締役社長
清水靖
能代工業高校(現能代科学技術高)中退後、都会での社会経験を得るために上京するも、スキル不足を目の当たりにし挫折。その後、地元経済の活況に伴い帰郷し、有限会社清水企業へ入社。これまでの挫折経験を活かした社会人としてのスキル磨きに奔走すると同時に、建設現場での経験を重ねた。2008年には先代より社業を引き継ぎ、併せて社号を現在の株式会社清水企業へと変更。主体性を大切に、地域貢献のため日々精励している。
SDGsへの取り組み
- 【4】DX (デジタル変革)を推進するとともに、社員のスキルアップを支援し、存在価値を高める人材育成をおこないます。
- 【9】人材不足によるスキル低下を防ぐためにもイノベーションに取り組み、技術力をさらに向上させ、地域の産業を支えます。
- 【11】カーボンニュートラルを推進し、環境に配慮した重機や機械を活用した作業方法により、持続可能な社会づくりに寄与します。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社清水企業 |
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所在地 | 〒016-0121 秋田県能代市鰄渕字下悪戸116-3 |
創業年 | 1983年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 清水靖 |
事業内容 |
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